老いは誰にでも訪れます。ですが、自分らしく健康で、自分らしくキレイで、自分らしくイキイキと生きていくために自分の頭で考え、決めていくことが大切です。年齢を重ねても好奇心旺盛にさまざまなコト・モノに興味を持って挑戦して、自分自身が成長していくことを楽しんでいます。
1945年、政治家・社会活動家の両親のもとに生まれる。
米国留学後、米国報道誌の東京支局勤務を経て、ショービジネスの世界へ。オードリー・ヘップバーン、ソフィア・ローレンをはじめ海外スターのCM出演交渉や音楽祭など、国際間のコーディネーターの草分け的存在となる。現在は、講演、TV出演、著述、各種委員、そしてボランティアなど幅広く活動。
他国の人の考え方を日本にいながら学べたことが今の仕事の礎に
アメリカ留学から帰国後、世界最大手のニュース雑誌「タイム・ライフ」の東京支局でリサーチャーとして働いたことが、私のコーディネーター人生のスタートです。アメリカに本社を置く会社でしたから、考え方も、仕事の進め方もアメリカ流。肩書や年齢、性別に関係なく能力があれば評価をしてもらえる職場でした。そこで21歳だった私も否応なく成果を求められ、目標を達成するための仕事の進め方や取材のアプローチの仕方などについて自ら考え、行動し、徹底的に学ぶことができました。当時、日本では女性が仕事をすること自体が珍しい中、日本にいながら民主的、多角的なアメリカ人の価値観を学び、その差異を肌身で感じとることのできる貴重な環境で仕事をしていたことは、私の仕事の礎となっています。
人生に大きな影響を与えてくれた 愛する母の存在
社会活動家であり、政治家であった明治生まれの母・加藤シヅエから私はたくさんの「言葉」を授かり、人生に大きな影響を受けました。幼い頃けがをして、初めて自分の赤い血を見て驚いて大泣きしていた私に、母は「やがてあなたは自分とは違う髪や肌の色を持つ人とたくさん出会うでしょうが、皆、赤い血が流れる同じ人間なのよ」と諭し、抱いてくれました。「私は私、あなたはあなたの価値観、存在感がある」と考え、誰の前でも等身大の私でいられるようになりました。自分の頭で考え、学ぶ「自立・自律」の大切さを教えてくれたのも母です。
加藤タキ、2歳前の一枚
加藤タキ19歳
32歳の写真。DJの仕事での一枚
また、将来に不安を感じ、ひざ小僧を抱えて落ち込んでいた当時33歳の私にも、母はある“言葉”を授けてくれました。「梅花、春に 魁けて(さきがけて)咲く」。梅の花は、どんなに寒い冬でも凛と立ち、蕾をつける。その蕾は必ずほころんで、まもなく訪れる春を告げてくれます。背中を丸めて下ばかり見ていると、目の前に春の兆しが見えていても見逃してしまいますよ。
この言葉は74歳になった今でも私を支え続け、苦しくても自分にも必ず春が来ると信じ、背筋を伸ばして笑顔を心がけるようになりました。
好奇心をもって何事にもトライ!
年齢は数字。加齢は成熟です。1つ年齢を重ねて「歳をとったな」と思うのではなく「去年より知識が増えたな」と思えばいいんです。好奇心旺盛にいろんなことにトライしたいので、自分が80歳を迎えた時どんな風になっているのか楽しみなんです。今、運動を兼ねて社交ダンスを習っていますが、とっても楽しくて!あとは、ナレーターの仕事もしたいし、母の生涯をドラマ化したい。これが私の夢ですね。
自分で考え、決めること。これが人生を豊かにしてくれる法則。
実は私、かなりのショップチャンネル・ヘビーユーザーなんです。ご縁があって「イミディーン」や自分が愛用する基礎化粧品を紹介することになりましたが、「自分に合っている」と感じたからこそ続けています。私の母も97歳の時に「命ある限り健康でいたいしキレイでいたい。なるべくあなたのお世話にならない私でいたいの」と宣言して、一緒に「イミディーン」の愛用者になりました。何歳になっても自分で考え、自分で決めて、何でも諦めないこと。これが人生を豊かにするために大切だと思います。