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| 【ニューヨークへ!〜FIT入学から、さらにアートスクールへ】 |
ニューヨークで大学に通い始めたきっかけは、海外転勤になった夫に付いて一緒にニューヨークへ行ったことです。
日本ではファッションメーカー会社に勤めていた経験もあって、“FIT”(ニューヨーク州立ファッション工科大学)のことは知っていました。行きたいとずっと思っていましたが、まず語学を磨こうと、最初の1年ほどは英語学校に通いました。
その後、英語を何とかマスターして2年間のいわゆる“短大”へ。思ったよりスムーズに入学でき、卒業もできました。
専攻したのは“ファッションバイイング&マーチャンダイジング”で、ファッションビジネス入門のようなクラスです。
その中の選択科目に“ジュエリーデザイン”がありました。
アクセサリーは以前から好きでしたから、興味津々で選択したら、それがとても楽しくて!しかも、意外にも(?)良い成績をいただきました。私自身にあまり、“アート”に対する先入観がなかったことが、かえってアメリカならではの自由な発想とリンクしたのかもしれません。先生から好評をいただき、周りの友人にも誉められて、「案外向いているのかしら?」などと気をよくして、さらにジュエリーデザインへの勉強意欲が湧き、卒業後に“パーソンズ”というアートスクールに再入学しました。
そこは、入学とはいっても、詰め込み制の授業ではなかったため、半分趣味のように勉強し始め、トータルで2年ぐらい通いました。
“パーソンズ”はアート中心の学校で、実用的なアクセサリーというよりはアート的な作風が多い学校でした。
デザインと、実際に作り上げていく実践の勉強が主でしたが、そんな中で考えたことが「私は実際に身につけられるものの方が作りたいな。」ということです。成績も、“プロダクトデザイン“という、実際に身につけるデザインのクラスの方が良かったですし、私の作ったリングをクラスメイトがデザインを真似したいと言ってくれたりしました。
アートのクラスではどちらかというと落ちこぼれだったかもしれません(笑)。
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| 【ニューヨークでのスクールライフ】 |
| 30歳を過ぎてから大学に通い始めましたから、クラスではいつも年長のほうでしたが、クラスメイトは皆、年齢を気にせずに仲良くしてれたので、10歳ほども年の離れた友人がたくさんできました。また、世界中から学生が集まってくるので、いろいろな国の方たちと知り合うことができたのも良い経験でした。 |
アート系のクラスの場合、その人の年齢や国籍より、どんなセンスがあるか、どんなアートが好きなのかというように、その人個人に興味を持って接してくれるので、こちらも年齢差などをあまり考えることなく、学生生活を楽しめたと思います。
日本にいたときは、“アート”というと少し構えて捉えていたかと思いますが、ニューヨークでは、特別なものではなく、日常的なものでした。皆、映画館に行くような気安さで普通に美術館に行きます。そのようなバックグラウンドがあるせいか、アート系のクラスにも気負わずに参加することができました。ニューヨークという街は、アートに関して言えば、懐が深く、多くの人の才能を開かせてくれるエネルギーのある場所だと思います。 |
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| 【プロへの第1歩】 |
学校時代から、プロになろうといった気持ちがあったわけではありませんが、作品が増えてくると、自分で身につけることが多くなってきて、知らない方からも作品について声をかけられるようになりました。
例えば、お店で、「そのネックレスどうしたの?」などと聞かれていろいろお話ししたら、「ちょっとお店に置かない?」なんて誘われたり、友人に頼まれて作るようにもなりました。自分の作った作品を、他の人に身につけてもらえるのが嬉しいという気持ちが、“最初の1歩”まではいきませんけれども、プロとしての半歩だったように思います。
そのころ、ボランティア活動でご一緒させていただいたアメリカ人の女性の方が、あるアート団体に所属されていて、その団体が主催する“クリスマスクラフトフェア”に出展させていただく機会がありました。短期のショーでしたが、本当に初めてでドキドキでした。自分の作品を買ってくださる方なんているのかしらと半信半疑だったのですが、結構お客様が買ってくださって、初出展で賞までいただいたんです!そこが“第1歩”になったと思います。お金よりも、誉めていただいて、気に入っていただいて、身につけて楽しんでいただけるっていうことに、とても感動したのを覚えています。 |
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| 【講師として活躍後、ショールームに所属】 |
| その後、アクセサリーの日本人講師を探していると声をかけられ、アクセサリー講師を始めました。簡単なビーズコースの、いわゆる“カルチャーセンター”でしたが、教えるようになると、ある程度作品数も必要です。テクニックも復習して自分の中で確立しておかないといけないため、どんどん作品を作りためていきました。 |
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作品が増えてきて、数件のお店で置いていただいているうちに、本格的に活動したいと思うようになりました。そんなとき、たまたま、友人のパーティーで、アクセサリーデザイナーをしているという方に出会い、「ニューヨークだったらショールーム制度があるから、ショールームに入れば1人でも大丈夫。展示会も開いているよ。」と教えていただいたんです。
ショールームというのは日本にではあまりない制度で、“レップ”とも申します。個人のデザイナーを何人かショールームで抱えるのですが、新人デザイナーにはありがたい制度で、日本だったら自分から売り込みに行くということになりますが、ファッション雑誌編集者や、大手百貨店、大手カタログのバイヤーなどがショールームに見えて、作品を吟味してくださいます。私もそのおかげでニューヨークでデビューできたと思っています。
ショールームに所属して、ニューヨークで4、5年ほど活動していましたが、ファンだった某有名百貨店からオーダーがきて、自分の作品が、自分の名前入りでバンと並べられていたのを見たときは嬉しかったですね。ニューヨークでそういった形でスタートできたことはラッキーでした。 |
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| 【ショップチャンネルとの出会い】 |
そんな折、夫に辞令が出て、泣く泣く帰国しました。
ショールームでの活動は続けていましたが、せっかく日本に帰ってきたので、日本でも作品を展開したいと思い、ある展示会に出展したのです。そこに、ニューヨーク時代にお世話になったバイヤーの方が見にいらしていて、お声をかけていただいたのがショップチャンネルとの出会いでした。
最初の出演時は大変でした!テレビ出演の経験などありませんから、「とてもじゃないけどできないわ!」と思って、パニックのような状態でした。とにかく頑張って出演はしましたが、緊張で何を言っていたのかも覚えていません。
ただ、オーダー数がそれまでと段違いに多かったので、製作が間に合うかどうか、少し慌てました。
講師時代の生徒さんにもお願いして、すぐにニューヨークに買いつけに行って、最初は自宅で製作を始めましたが、自宅の1室をスタジオにしたために、リビングがなくなってしまう事態に(笑)!
そこで、近所にスタジオを借りて仕事をすることになりました。 |
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